ハイコンテキストカルチャーから得たインスピ

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先日、発達障害を持つある社員の話を同時通訳するお仕事をした。その方はADHDASDがあり、言語化されていないメッセージの処理が苦手なので、日本のように単一民族で同じ歴史、文化を持つ国では言語化されない他者の意図を読み取ることがコミュニケーションの一部になっているため、人間関係や仕事の面でいろんな困難があるという。英語では文脈をcontextと言うが、文脈つまり言葉にならない要素の理解をより求められる文化ということでハイコンテキストカルチャーというらしく、その逆はローコンテキストカルチャーでアメリカのように他民族国家でお互いの共通項が少なく暗黙の了解がない分より多くの情報が言語化される傾向がある。

障害の有無は各お医者さんの判断に委ねられていて人によっては微妙な違いであり、ある意味誰もが多かれ少なかれ障害を持っていると言えるのではないか、とのこと。

確かに日本はアメリカほどではないと思うが、世代間のものの考え方も結構変化しているし、どの程度ハイコンテキストカルチャーと言えるのだろう?

 

そもそも自分が当たり前と思っていることが隣にいる人にとって当たり前とは限らない。

メールやLINEのチェックの頻度だって、毎時チェックする人もいれば、忙しくて何週間も既読にならない友人もいる(^_^;)

自分の前提を人に押し付けるから拗らせてしまう人間関係って結構多いと思う。相手に聞いてみない限り理由は分かり得ないのだ。

既読にならないことを一方的にチクチク言われると、弁解する気も失せてしまう。。

先日受けたパートナーシップのコミュニケーションのワークショップで、あなた(you)主語にして話すと自分の考えの押し付けに聞こえるので喧嘩になるけど、私(I)を主語にすれば自分の考えとして伝わりやすいと言っていたっけ。つまり「(あなたは)なんでメールチェックしないの?」だと相手を責めているし、チェックすることを強制するから相手に不快感を与えるけれど、「私はあなたにもう少しメールチェックして欲しい」と伝えればこの人はそういう考えなんだと相手も受け入れやすくなる。かく言う私も言いづらいことを人に上手く伝えるのが苦手なのだけど、思ったことを何でも言い合える関係に憧れているので、これからチャレンジしてみようと思っている(o^^o)

 

ことパートナーシップに関しては、元旦那がザ・日本人で、アウンの呼吸、言わなくても通じ合う夫婦関係を美徳としている男性だったので、分かり合える努力というものがそもそも全くできていなかった。聴覚に問題のあった母を持ち、気持ちを伝え合うことが苦手すぎる家族に囲まれて育った私にはそれがなんとなく当時は心地よかった気がする。でも結局小さな気持ちのすれ違いが居心地の悪さを生み、お互いの存在を疎ましく感じるようになってしまった。

 

偶然にもここから今週のテーマ「自分にご褒美をあげましょう」にマッチしていると書いてから気づいたのだが、心地よく生きていく上で気持ちを伝え合う前にまず大事なのは自分の欲求をきちんと正確にキャッチする感度を磨くことだと思う。まずはなんとなく感じる違和感に焦点を当てて、それを意識に顕在化させ、言語化してみる。簡単なところでは今日のお昼は何食べたいかな?冷蔵庫にキャベツが余っているからとか、スーパーで魚が安かったから、ではなく今自分が本当に食べたいものを感じてみる。そしてそれを言語化し、実現させてあげる。私は最近自分だけのために丁寧に料理を作ってみた。今まで子供優先で料理は単なる義務、タスクでしかなかった😅でも美味しい料理を思い浮かべながら作って食べてみると、不思議なのだけど心がスッと落ち着いて満たされた感覚になった🌟🌟特に自分をいつも後回しに考えてしまう責任感が強くて忙しいあなたに是非試してみて欲しいな。

 

これはほんの一例で、他にも湧いてくる自分の要求を次々に自分で満たすようになると、周りに対する欲求が不思議と少なくなってくる。me firstって決してワガママってことではないのだ(^^)欲しいものは手に入れよう!あなたにはそのパワーが必ずある!

夫婦関係でも自分の欲求を無視して空気を読んでるつもりになって相手に尽くしていると、なんで相手も自分に尽くしてくれないのか不満が出てくるけど、自分の欲求をまず満たしていれば、パートナーに何でもかんでも満たしてもらわおうと思わなくなる。

自分だけでは満たせない、パートナーにしか満たしてもらえないことだけを求め合うとお互い心地よくいられるようになる♬